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 「よりよく生きる」こととは、どう生きることなのでしょうか。

 筍は以前からこう考えております。よりよく生きるということは、自らの周囲の人々への思いやりを忘れないことだと。特に、悩んでいる人、困っている人、弱った人への共感ができることだと。

 この資質は、医療人や介護職のひとには必須の要件であろうと考えています。患者さんに共感できないひとに医療職は不向きです。介護職も同然です。共感できぬひとが選ぶべき職種ではありません。

 

 ところで、話しは飛びますが、色々な「死」の言葉があるよね。孤独死、孤立死、病死、事故死、中毒死、癌死、心臓死、突然死、在宅死、在院死、などなど。

 

 死を選ぶことが出来ればどんなに良いか。生きとし生けるもの全ては、生まれると直ぐに、死へ向かって歩み始めるのですが、それを選ぶことはできません。果たして私たちの行く手には、どんな「死」が待ち受けているのでしょうか。

 

 みなさんは、どんな「死」を望まれますか。 

 

 「孤独死」という言葉があります。孤独死とは、主に一人暮らしの人が、誰にも看取られる事無く、当人の住居内等で、生活中の突発的な疾病等によって死亡することと、Wikipediaにあります。

 「孤独死」は、あたかも社会悪の如き扱いとして、しばしばマスコミに取り上げられます。でも、「とんとんころり」は多くのお年寄りの憧れであるかのようです。

 「孤独死」にせよ、「孤立死」にせよ、状況としては「とんとんころり」ではないですか。独居で、誰にも看取られずに、白骨化するまで何ヶ月も放置されたことって、そんなに問題なのでしょうか。

 考えてもみてください。死はいつも絶対的に孤独なものです。仮に愛する人に手を握られていても、死へと赴くのは我のみ。ありとあらゆる医療機器を装着された状況であっても、家族の全てが見守ってくれていても、逝くべきときにはたった独りで逝くのです。

 ですがね、生きていくためには、独りではなかなか生きられません。誰かの助けが要るのです。誰の助けも借りずに生きることなど不可能ですよね。周りからの厚意があったからこそ、見守りがあったからこそ、成長してこられたのですよね。

 であればこそ、「よりよく生きる」ってこと、簡単ですね。周囲の厚意でこうして成長できたのだから、こんどはみずからが周囲の人々へ厚意をお返しすることではないでしょうかね。

 もしもそのひとの人生で、そのひとの存在があったからこそ、あるひとが生きられたんだと証明できれば、そのひとの人生はそれで差し引きイーブン、生きた意味はあったのです。もしも二人を助けられたのなら、そのひとの人生は差し引きプラスなのだと。三人ならもっとプラスになるのです。

 だからこそ、筍は医者になることを目指したのです。

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